「不登校」は肯定するものでも、否定するものでもない

こんばんは!

ココロミル学院です。

本日は、近年の「不登校」に関する様々な意見について

思うことを書きます。

タイトルで全てを言ってしまっていますが、最後までお付き合いください!

今よりも少し昔、まだ「不登校」の生徒が少なかった頃には、

学校に行っていないということだけで、サボり・甘えという評価をされていました。

今でも、その様な意見もありますが、だいぶ減っていると思います。

僕自身は、この意見にはもちろん反対です。

そもそも、「不登校」の多くが制度的な欠陥によるものだと思っているので、全てを生徒や家族など個人の問題にしてしまうのは、無理があると思っています。

また、サボり・甘えという意見には、生徒や家族の苦しみが完全に見落とされています。

学校に行っていない人は楽をしているという、決めつけから出る意見だと思っています。

このような意見が少なくなり、「不登校」に対する否定的な意見が減っていることは、流れとしては良い方向だと思います。

僕は当事者の方が傷つく事が減ることを願っています。

ただし、「不登校」をオススメする意見に関しても、僕はあまり賛成できません。

むしろ、反対です。

なぜなら、「不登校」とは状態であり、良い悪いの判断をするようなことでは無いからです。

「不登校」を肯定・オススメする意見は、

「不登校」に対する、善悪の判断の上に成り立っています

そのように、「不登校」を判断していると、精神的に辛くなってしまいます。

「不登校」に良いも悪いも無いのです。

例えるなら、部活のようなものです。

Aさんはサッカー部で、Bさんは茶道部です。

ただ、サッカーが好きなAさんと茶道が好きなBさんがいるだけです。

そこに、良いも悪いもありません。

「不登校」も同じです。

部活に入るのが当たり前の時代から、”帰宅部”という言葉ができたように、

”在宅部”という新たな言葉が出来ても良いはずです。

その生徒は、

ただ”学校に行きたくない”だけ

です。

そこには、良いも悪いも無いはずです。

「学校に行っていない」ことに悩んだり、罪悪感を感じる必要はありません。

僕と同じような意見の人も、きっといるはずです。

・学校に行きたいのに、行けない
・誰かと話したいのに、話せない

そんなお悩みのある方は、少しだけ勇気を出して誰かに相談してみてください。

もちろん、僕に連絡をくれるのも大歓迎です。

mail:kudo@kobetsushido-shibuya.com

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最後まで、お付き合いいただきありがとうございました!!